御所人形とは
御所人形は、ぽっちゃりとした肉付き、真っ白い肌、三~四頭身ほどで小さな手足に大きな頭、ちんまりとした目鼻立ちのかわいらしい幼児の姿そのままに作られているのが特徴で、天皇が親王や皇女へ下賜した人形が由来とされています。江戸時代に参勤交代の西国大名が京都御所や公卿達に贈り物した返礼に賜り、故国へ持ち帰ったところから知られるようになりました。
そのルーツは平安時代に遡ります。
疫病を祓う為に草でつくった等身大の人形を立てる風習が、やがて身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」をつくってわが身を清めるものへと転化。これらは「ひとがた」(天児-あまがつ・這子-ほうこ)「人の形」と総称され、祓の人形(にんぎょう)とされていました。
「ひとがた」から派生したものには御所人形や雛人形があり、雛飾りに「天児」「這子」「御所人形」も一緒に並べて飾るようになりました。
天児は幼児の守りとしてその枕元においた「かたしろ」の一種で平安期の貴族家庭で盛んに用いられた。幼児を襲う災や汚れをこれに負わせ、子の無事を願うためのものです。
また、這子もこの時期に同じく作られたもので、様式としては絹糸や黒髪をつけ、金紙で束ねており、平安期の官女に似た顔立ちをしています。
これは江戸中期には天児(男)と這子(女)を対のものとして雛壇にも飾っていました。このように御所人形は日本人形文化の系譜を受け継いできました。
御所人形は、這い這いする稚児の姿をした身代わり人形を枕元に置くなどの呪術的意味合いがあり、次第に白色胡粉独特の品格高く吉祥感がある表現法が確立されていきます。
健やかに賢く豊かな人になるようにと願いを込めたものが多く、色彩の調和、体躯表現の魅力、生命観溢れる、そして、今も人々の願いや思いを託された和様の文化的価値ある存在といえます。
安政6(1859)年に創業した島田家は初代を庄兵衛といい、当代島田耕園で5代目の由緒ある人形司の歴史を持ちます。
平安時代にはその時のかたちがあるように、五世島田耕園は今の時代のかたちを常に模索し続け、作り続けています。
人形の姿かたちは時代とともに移り変わりますが、脈々と受け継いできた「ひとがた」に込める思い、人々の願いを大切にする真髄は何一つ変わらずに代々受け継いできました。
継続と革新を胸に、工芸工房としてそして作家として守り続けてきた技を更に磨き、これからも次の世代へと受け継がれてゆく作品を作り続けます。
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